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Channel: 轍亡き路へ

小田原川橋梁

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新年あけましておめでとうございます。
2016年は私にとって『勝負の年』となります。今年どう過ごすか、どうアクションを起こすかによって今後の人生に関わってくると言ってもおかしくないでしょう。
例年通りこちらのブログはゆるゆる書いて行くつもりでございます。
滅多に更新されることはないですが、今年一年よろしくお願いいたします。




とまぁ、堅苦しい話は置いといて皆さま新年あけましておめでとうございます。もう22日が経過していますがいかがお過ごしでしょうか?
今年は雪が降るのがとても遅いですね。年始にしばらく地元の方に帰省していたのですが、雪が降ることもなくずっと雨でじめじめしておりました。そんな私が今年初めて雪に触れたのは先日降雪した東京でとなりました。滅多に降らないどころか、降れば大混乱の東京で初めて雪に触れるなんて雪国の人間としてはびっくりですよ。乱れまくった鉄道に翻弄されてなんとか名古屋まで帰ることができましたけどね。


では今年初めのネタと言いたいところですが、今回ご紹介する物件は2014年6月29日に散策したものです。
なので現在と少し環境が違ってるかもしれないですがまぁほとんど変わってないでしょう。

物件の名前は『小田原川橋梁』
橋梁という名目ですが、ほぼ暗渠として見てもよいでしょう。
なぜ暗渠をチョイスしたのか、実際に写真を見ていただければおわかりいただけます。

イメージ 1



場所は岐阜県関ケ原町。日本史において有名な「関ヶ原の合戦」が行われた地です。
徳川家康の初期陣地に程近い天下の大動脈、東海道本線の築堤下にこの小田原川橋梁はあります。



視線が少し高いのは隣接する道路の橋の上から撮影しているからです。
一見するとコンクリートで補修された煉瓦巻の暗渠です。でも正直それなら単体で紹介するほどのものではありません。この暗渠の目玉は、内部にあります。




察しの良い方は既に気付いたかもしれません。というかこの文章呼んでるときには次の写真見えてると思うので読み飛ばされてるでしょう



イメージ 2

水路の方に下りて撮影したのがこちらです。
そうです。この暗渠は「ねじりまんぽ」物件なのです。


「ねじりまんぽ」というのは、線路と交差する川や道路が、線路に向かって斜めに交差する場合にこのような積み方がされるときがあります。正確には「斜拱渠」(しゃきょうきょ)、「斜アーチ」と呼ばれるもので、煉瓦のアーチをねじって積むため、一見不思議な光景になるのです。

日本で有名なのは、京都にある琵琶湖疏水のインクラインにあるもの。観光客が多く利用することからその場所だけ名前が大きく上がっていますが、他にもこういった目立たない場所にあったりします。それでも全国で30件程度しかなく、とてもレアな物件には間違いありません。

イメージ 3

その内部の写真がこちら。
綺麗にねじれていることがわかりますよね。
まるで異空間のような光景が見れることがねじりまんぽの魅力だと思います。




ちなみにこの近くに、もう一本ねじりまんぽの物件があります。
名前は『穿屋川橋梁』と言います。

イメージ 4

その穿屋川橋梁の写真がこちら。

ねじりまんぽ物件なのですが、ねじれていません。
というのも、ここはかなり特殊な物件で、内部で一度断面の大きさが変化するのです。
望遠レンズで撮った写真で見てみると……。

イメージ 5

断面変化が良く分かると思います。
あの広くなっている部分が、ねじりまんぽだというのです。まぁこの写真じゃよくわかりませんよね。


んで、なんでさっきからそのねじれた部分に行かないのかというと……。

イメージ 6

いや~……流石にこれは無理だな……。

と、がっちりガードされてていけそうにもありません。
じゃあ反対側から行こうじゃないか。

イメージ 7

いや~~~これも無理だな。

こっち側は少しアタックしてみたのですが、胸元までの藪・足元が不安定すぎて軽装だったこともありアタックはやめました。

ですが最近この入口の柵が取り外されたらしいので近いうちに再訪したいと思います。僕の「近いうち」が信用ならないのはもうわかっているとは思いますけれどね……。


(終)

生存報告を兼ねて

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どうもこんにちは。ぽっぷです。

前回の更新から早二ヶ月、私の廃道散策は今年に入ってから一度も行けていない状況です。
そろそろ山を歩きたいところですがお金と足がありません。地元に帰ったら行けるところには行きたいですね。

この趣味は何かと危険な場所へ向かうことも多く、下手して事故を起こしそのまま……なんてことも考えられなくはないでしょう。
身の安全を第一に考えて散策を行うことこそ大切なことではありますが、こう散策にろくに行かずそれでも堂々とブログを開設している身としては何カ月以上も更新をしないとこいつもしかして?なんてことも考えられるでしょう。
(実際私がここを半年ほど放置していた時にはご心配をおかけしたようで……申し訳ございません)

私のTwitterを見ていただければわかるとおり毎日のようにうるさくツイートを繰り返していますのでTwitterを見ていただけている方には私の生存報告なんて必要性を感じないほどでしょうけど、ブログしか見ていない方にはこいつやっぱり死んだな?って思われてもしょうがないでしょう。


そこで、ふと以前使用していたブログのページが残っているじゃないかと思い最近動かし始めたブログのほうをこちらにご紹介しておきましょう。
おわかりの通り、私は一眼レフを持ち歩き道路だけではなく航空機や鉄道と言った乗り物全般の写真を撮りあるいています。
というよりも道路よりもそっちのほうが多かったりするので、本当に君は廃道が好きなのか?って思われているでしょうね(笑)

その事もあり飛行機写真を中心にアップしているブログ「空路」を最近新たに動かし始めました。
今までは旅路という名前で一応ここのトップの記事にもリンクを残してありましたがそこから空路のほうに飛べます。

こちらの記事からも『空路』へ飛ぶことができますのでぜひ一度ご覧ください。


飽き症の僕にはここを見ても大学に入学したてのころの僕の記事が書かれていたり高校生の時の写真が恥ずかしげもなく張られていたりで時代を感じていますが、私は死んでないぞという小さい自己主張でもあったりするのでまたよろしければ轍路合わせて空路のほうもよろしくお願いいたします。


……ちなみに近々今年度初の廃道散策に出かけたいと思っていますがこちらはまた性懲りもなく福井でも名古屋でもなかったりします。また続報お待ちください。

王滝森林鉄道王滝本線 その1

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どうもこんにちは。週末に今年一発目の散策に行ってきました。
いやぁ久しぶりの山歩きでしたがこの時期はまだ歩きやすいですね。夏場になったらこれ地獄の藪漕ぎになるんだろうなぁって思いながら歩いていました。

2016年初なのでせっかくだし今までやったことないジャンルに挑戦してみようと思いまして、今までにやったことがなく名古屋から行きやすい場所にあるものと言ったらこれしかないかなと思いました。

今回の標的は「王滝森林鉄道」

王滝森林鉄道とは、長野県木曽谷に広がっていた「木曽森林鉄道」の一つです。この木曽森林鉄道は最盛期には10営林署が存在し、すべての営林署に一つないし二つの森林鉄道を保有していました。その総延長は400キロに上るほどなんだとか。

その営林署の一つ「上松運輸営林署」に属している「小川森林鉄道」と「王滝森林鉄道」は規模も大きく、比較的最近まで運行を行っていたことや数々の遺構が今も残っていることから知名度が高い森林鉄道であるとも言えるでしょう。

この森林鉄道の始まりは明治43年の中央西線開業に由来しています。中央西線の開業により材木を鉄道で輸送する方法に変わりました。上松では小川森林鉄道のほうが大正2年に着工を始め、上松駅にほど近い鬼淵停車場より氷ヶ瀬に至る約25キロの鉄道線が大正6年から12年に作られました。これが王滝森林鉄道です。

その後、白川・うぐい川・瀬戸川・濁川・鈴ヶ沢などの支線を含め、総延長155キロという路線網が昭和30年に築かれました。
この路線はその名の通り木材の運搬が主要だったものの、沿線住民の陳情もあって列車への便乗や日常品の輸送が行われ始めました。これは市街地から12キロ離れている滝越地区の住民には重要な交通手段であったと言えるでしょう。

しかし昭和40年代より林道が整備され始め、伐採場所より直接木材を搬出できるトラック輸送へと変わって行きました。これにより森林鉄道は次々に廃線となって行き、王滝森林鉄道は本州で最後の森林鉄道となるも1975年(昭和50年)5月30日を以って廃止されました。
現在も稼働する森林鉄道は日本に二カ所のみで、一つは鹿児島県屋久島にある安房森林軌道、もう一つは京都府にある京都大学芦生研究林の中に現存している京都大学演習林軌道がごく稀に運行されている程度です。



そんな中王滝森林鉄道が注目される理由、それは木橋が現存していることです。
木橋は山奥深くに残っていて、残念ながら今回の散策ではそこまで行っていないのですがまた時間があるときにでも行きたいところですな。何年後になるでしょうかねその頃には落ちてそうですが




なおこの路線は一部区間は道路にそのまま転用されていたりします。線路跡を辿ること自体簡単な区間が多いため今回は道路跡に転用されていない第三号隧道~小島停留所と、その他アクセスのしやすい残存遺構を中心に巡ることにしました。



まず最初に王滝森林鉄道ではなく管轄的には「小川森林鉄道」の区間となる現JR中央西線上松駅に併設されていた貯木場から王滝森林鉄道の起点である鬼淵停車場間に残る遺構からスタートです。


イメージ 1

上松駅から歩いて行ける場所にあるこの遺構、王滝森林鉄道や小川森林鉄道に入る人ならまずここからという人も多いのではないでしょうか。
というも、すぐ後ろが上松駅であり東貯木場があります。話を聞くところによると、右のガーター橋が本線であり、左側のコンクリートのほうは機関車や貨車の留置線だったとか。高さはそれなりにありますがこのくらいなら安心して渡ることができます。ちょっと高い平均台って感じですね。

この先鬼淵停車場までの区間に木曽川橋梁(鬼淵鉄橋)がありますがこちらも有名なので割愛。一気に第三号隧道からスタートしたいと思います。


イメージ 2

こちらは三号隧道手前より始まる本格的な廃線の跡。近くには道の駅三丘があります。
ここから鬼淵の間はほとんどが道路に転用されていて、第一号隧道は道路の拡幅の際に埋め戻し、第二号隧道も開削されて現存していません。なので王滝森林鉄道の遺構はここからということになります。
なお、第一号隧道の区間は実は新線区間で、現在道路として使われているのは旧線跡の路盤です。なので正確には第二号隧道が旧線時代の第一号隧道でした。
今回散策した・見たもののほとんどが新線時代のものですので新線時代の隧道番号で表記して行きたいと思います。

イメージ 3

並行して走る県道20号線が拡幅された時に削られてしまったのでしょうか、落石防止柵の内側を歩きます。
そしてこの先、落石防止柵が途切れる場所には

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おまちかね、第三号隧道が現存しています。20メートルほどの短い隧道ですが、竣工は大正9年です。
落石覆いが付いていますが後付けでしょうか。

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しっかりとした要石が付いています。
内部は入口部分だけがアーチで、中央部は素掘りです。

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隧道の先もずっと線路跡が続いています。
正直私はあまり廃線跡を歩いたことがないのでこういう光景は新鮮ですね。

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反対側、王滝側の抗門です。
雰囲気的には下荒井隧道にも似てますね。

イメージ 8

少し先から振り返って撮影。ゆっくりとカーブを描いているところが道路由来の廃道ではなく森林鉄道らしいですね。
山側にずっとある側溝は廃線後に付けられたようです。


イメージ 9

時期が時期ですので藪が濃いわけでもなくほとんどの草木は枯れているのでまだ視界は良い方です。夏場はどうなるんでしょうか、想像したくもないですけどね。


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脇にそれて行く道には切り通しが。
線路が伸びていたとも聞かないですし、何かの通路だったのでしょうか。


イメージ 11

そしてこの先は入山橋梁という橋がありました。
延長29.3m、開業当時は上路ハウトラスの木橋だったそうですが、老朽化のため昭和8年11月に中央の橋脚の新設とともにガーター橋になったそうです。なおガーターは2008年に撤去されているので現在は橋台・橋脚のみが残っています。

流石にここから先は空を飛ばないといけないので少し戻って一旦道路へ復帰、この先から廃線跡へと復帰します。


(その2へ)

王滝森林鉄道王滝本線 その2

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どうもこんにちは。睡眠時間が全くなく死ぬほど忙しかった土日を終えてようやく楽になれました。

今回は王滝森林鉄道の続きになります。
入山橋梁から先、約2キロの区間は線路のあった王滝川左岸には道路がなく、入山橋梁のすぐそばにある三尾発電所と、それに隣接する三岳村総合グラウンドを過ぎてしまえば、集落がある小島にあった小島停留場まではエスケープは一切できません。
しかし、その区間には橋梁3本、隧道5本、小島という停車場がありそこから王滝川の中州にあった土場への側線がありました。
2キロという区間でこれだけ濃厚な遺構が現存している部分を行かないわけにはいきません。


が、入山橋梁からすぐ先の三尾発電所横の廃線跡。階段で登れる手軽っぷりの割には藪がすさまじいことに。まぁ冬なので行こうと思えば行けるのですが、時間がかかる区間にさらに時間を費やしてまでも完全歩破にこだわるつもりは全くないです。

なので完全にエスケープ路が無くなる三岳村総合グラウンドの脇から廃線路盤まで直登し、そこから2キロ先の小島停留場までを辿ることにしました。



イメージ 1

こちらが上ってきた部分。標高差はだいたい15メートルと言ったところでしょうか。ここを下りるのは怖いですが上るのならひょいひょい上れます。
入山橋梁のほうを向いて撮影していますが藪地獄ですね。夏場は大変でしょう。
実際のところはここまで視界が悪いわけではないです。


イメージ 2

なお上った場所には碍子が落ちていました。
何も触れずにそのまま置いておきましたが何か書かれていたかもしれませんな。


イメージ 3

ちょっと先に進んで藪がなくなってきたところ。
これからところどころで藪があるところとないところが交互に現れます。

少し広くなっていますが複線で桟橋があったのか単線だったのかはよくわかりません。


イメージ 4

しばらく進むと一本目の橋が見えてきます。
ここまで大体10分程度でしょうか。距離にしては数百メートルも進んでないはずなのですが、藪のせいで歩くスピードは凄く遅くなっています。
上ってきた場所はグラウンドの入り口ですが実はグラウンドの端っこまでも行ってないんですね。真横にグラウンド見えますから……。




イメージ 5

木の間から失敬して……。
こちらが「沢渡沢橋梁」です。ガーター橋で、まだ枕木が乗ったままです。

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橋を渡る前に側面から。建設された当初は木橋だったらしく、川の中央に台座が今も残っています。
また石積みだったものをガーターを乗せた時にコンクリートで固めたみたいですね。

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橋を渡った先がこちら。
枕木が乗ったままの廃橋なんて初めて渡りました。バランスを崩さないようにガーターの上だけ踏むようにして渡りましたが平均台の上に障害物があるような感じでしょうか。このくらいのガーターならまだすんなり渡れますね。怖さもさほど感じません。


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その先には再び藪が。藪と言うよりはもう木でしょうか?自然に還っているという感じがします。そりゃあ人なんて僕たちみたいなマニアしか歩きませんからね……。

イメージ 9

切り立った崖が見えてきました。凄いところを通っていたんですな。
写真ではかなり見えにくいですが、実はもう奴が見えています。

イメージ 10

にしても凄い風景ですね。こんな場所を鉄道が通っていた風景を想像できないです。
この辺りに「沢渡沢上桟橋」という木製の桟橋があったそうですが、老朽化で撤去されて普通の道床になっているとか?
探してみましたがよくわからずでした。

イメージ 11

そしてこの先に奴があります。


イメージ 12

こちらが「第4号隧道」。第3号とは違ってアーチがコンクリになっています。
事前に調べておいた情報では隧道の入り口にかかるほど崩れてはいなかったのですが、着実に時は流れているようですね。

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木製の落石覆いがあったようですが、ことごとく破壊されています。
石垣も合わせて破壊されたようですな。しばらくしたらあのレールも落ちてくるんじゃないかな……。

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第4号隧道はかなり短いです。延長25m、微妙に左にカーブしています。


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出口からは次の第5号隧道も見えてしまっています。
手前は崩れてしまっていますが進む分には全然問題なさそうです。

イメージ 16

してこちらが第4号隧道の王滝側。こちらは抗門の装飾なしで素直なコンクリートポータルです。

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4号と5号の間にはこんな小さい水路が存在していましたが、機能してなさそうです。

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こちらが「第五号隧道」。延長34.5m、両脇にコンクリの柱が付けられていますが何なんでしょうか。直線なので出口も良く見え、その先の嫌な風景まで丸見えですね……。

イメージ 19

出口からの風景がこちら。なかなか嫌な斜面ですね。右側へ落ちればこのまま王滝川までまっさかさまです。
崩れてる部分では手を付く場所がほとんどないので少し高巻きして進みます。

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尾根になっている部分で少し安定したので振りかえって第5号隧道を撮影。
こちら側の写真はこれだけになりました。

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突破すると再び枯れ藪が復活してきます。

この辺りには「大崩桟橋」というこれまた木造の桟橋があったそうですがこちらも痕跡なしです。




続きはその3へ

王滝森林鉄道王滝本線 その3

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どうもお久しぶりです。
やっと忙しい時期を終え大学の卒業を待つばかりとなりました。

いつも通りマイペースにのんびりと廃道散策も続けていけたらと思っています。


では前回の続きとなる王滝森林鉄道の続きです。

前回は第5号隧道を抜けたところで終わっていました。
イメージ 1

第5号隧道を抜けるとレールによる柵が現れます。
廃線跡なんかにはよく見られる、レール転用の柵ですね。

レールの頭の幅は大体3センチほどなのでおそらく9kgレールかと思われますが、流石に森林鉄道で使用していたわけではなさそうで、現役の頃から柵だった可能性があります。

イメージ 3

先ほどの柵が現れると、程なく小島停車場に着きます。昭和6年8月に新設された停車場ですね。

写真は停車場から進行方向に向かって撮影していますが、ここから線路跡は二手に分かれていきます。
写真左手に向かうのが本線、川の方へ下りていく右側が流送材の積み込み場への引き込み線です。

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ここにもレールを利用した何かがありましたが、これは何なんでしょうね……。

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小島停車場から少し先、引き込み線はだんだんと離れていきます。
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また小さな鉄橋が残っていましたが、これもほとんど意味を成してないですね。

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路盤にはでっかい岩が転がっているようになりました。
実は上の写真からこの岩までの間に激藪区間(冬なので枯れ枝ですが)があったわけですが写真なしです。

日当たりの問題なんでしょうが、このちょっと先の区間になると
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こうだったりします。
写真にはあるものが写っているはずなんですが、枯れ枝のおかげで全くわかりません。
実際はちゃんと見えていたんですけどね……。写真で撮るとどうしても写らなくなっちゃいます。

夏場は行きたくないですね……。

んで、そのあるものとは

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こちら。

サルオセ沢橋梁です。
私が事前に見たサイトさんでの写真だと、枕木があったはずなのですが橋の上にはありませんでした。
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まぁ橋の上にないってことはこういうことなので……。

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橋自体はそんなに高いわけでもなく渡りにくいわけでもないので、ちょっと高めの平均台です。
こちらは難なくクリア。良い感じにカーブしていたのですが、枯れ草で綺麗に写りませんでした……。


イメージ 11

サルオセ沢橋梁より先を望んで。写真にもばっちりあいつが隠れています。

ここから先は次回。

王滝森林鉄道王滝本線 その4 & 久しぶりのご挨拶

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お久しぶりです。ぽっぷです。

名古屋に居ると回りはコンクリートジャングル。廃道なんてそんなたくさんあるわけもございません。
名古屋に住んでいる時は家でひたすらゲームをしながら飛行機の写真を撮り……、というのが私の生活でした。

無事に去年7月に就職活動を終え、今年の2月に名古屋の自宅を引き払い福井に帰ってまいりました。
3月には大学を卒業、そして今年4月からは晴れて社会人として元気にやっております。


さて、久しぶりにこのブログを触ったと言うことはもちろん廃道へ行って来たんですよね?とお思いでしょうが


そんなことはないです。


とはいえ、私が本当にオブローディングをやめているならこのブログの更新は永久になかったことでしょう。

正直な話、趣味で撮影していた飛行機なわけですが、福井県民である以上言わねばならないことがあるのです。


福井県に空港はない。


正しくは、あるにはあるけど定期便が飛んでない、なんですけどね。
ジェット機も下りれず定期便みたいなヘリが飛んでるぐらいじゃ正直面白くないんです。
飛行機を撮るには一番近くても小松空港まで行かなくちゃならないのです。

つまりやることがないんです。


そして自分の車もようやく手に入れることが出来ました。先にご紹介しましょう。

イメージ 1

レガシィBH5です。ツーリングワゴンですがツインターボのじゃじゃ馬です。
色もWRブルーでかっこいいでしょう?

とまぁこんな車でいろんなところに行き始めたわけですが、先週国道476号や国道157号なんかを走ってきてやっぱりそっちにもそろそろ行きたいなと。

というわけで今週末久しぶりに廃道へ行こうかと思っているわけです。
なんてったって久しぶりですので、勘を取り戻すために今回は依然行った事のある場所の再訪を何カ所かしたいと思っています。何せ数年の時が流れています。きっと変わっていることもあるでしょうね。






そんなことなので、御挨拶のついでに今回は消化していなかった王滝森林鉄道のレポを再開したいと思います。大変ながらくお待たせしました。





イメージ 2


前回終了地点はサルオセ沢橋梁でした。そこから先の光景の写真をまず一枚。

ここから先も比較的短いスパンで隧道が現れます。


イメージ 3

まずはここから、第6号隧道です。

延長22mの短い隧道です。入る前からその先が見えていますね。

イメージ 4

手前にこんなものが落ちていましたが電線関係でしょう。詳しくはないのでどう使うものなのかはさっぱり。


イメージ 5

トンネルの中はさっぱりしてます。
日の当らない隧道の中は吹き込んだ落ち葉だけで平穏そのものですね。

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出口の立地は、流石森林鉄道と行ったところでしょうか。
崖っぷちに口を開く隧道、とても熱いですね。こんなところを鉄道が走っていたということが驚きです。

イメージ 7

第6号隧道から先は少しカーブがありますが明かり区間は短いです。
振り返って撮影したものですが第6号隧道は目の前に見えています。

同じ場所で進行方向を見ると

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すぐそこに第7号隧道が控えています。

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前の6号隧道とは違って7号隧道は土被りが多いですね。
延長73mと随分と長くなりました。

イメージ 10

第7号隧道の出口から見るその先の風景。いやーな感じがしますね。
しかしその前にはここまで歩いてきたご褒美(?)が!

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流石森林鉄道、トンネル+鉄橋のコラボ!

トンネルのすぐ脇を流れる沢を渡るための橋梁のようです。倒木がガーターにかかっていますが難なくクリア。
この橋梁は矢崎沢橋梁というようです。


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先の光景は危なそうに見えましたが路盤はセーフ。枯れ木もあるので鬱陶しいですが滑落の危険は皆無です。

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こちらも明かり区間は短く300メートルほどで次の隧道が見えます。これが今回探索区間ラストの隧道ですね。

イメージ 14

第8号隧道。延長36mの隧道です。コンクリートなので古さを感じさせませんがこれでも大正9年生まれ。
落石防止なのか、覆いがしてありますね。


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出口から先。
ここからは川からは少し離れ、穏やかな森の中を通ることになります。

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8号隧道の出口。隧道表示板を掲げる板が残っていたはずなのですが、長年の風雪に耐え続けていよいよ力尽きてしまったのか、無くなっていました。

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川から離れて森の中を進みます。
この時期ならジムニーのようなオフロード用の車なら入って来れそうですね。

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草が生い茂っていますがここが昔の小島停留場。複線分の道床があります。


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ここで久しぶりに現役の一般道と合流します。小島停留場のすぐ先です。

一般道から見ればまるで林道のようにも見える廃線跡ですが、ここに鉄道が走っていたんですね。



ここの散策を終えた段階で午後の2時半。
廃線跡をなぞるのをやめ、車でポイントごとに押さえて行こうと思います。
見たい場所は多くありますが全部アタックしてしまえば時間が全く足りませんからね。
車道からも見え、比較的アクセスの近い場所を重点的に見ていく感じにしました。

まだもうちょっとだけ続きます。

王滝森林鉄道王滝本線 その5

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どうもこんにちは。ぽっぷです。

先日久しぶりに廃道へと出向いてきました。心強い助っ人と共に、まだそのすべてを解明できていないあの場所へと行ってきました。前回にも行ったところですが、前回到達地点より一歩奥に進んだ段階で引き返したことだけはあらかじめ伝えておきます。レポはしますよ(笑)




それでは今回は王滝森林鉄道の5回目、最終回となります。


廃線跡を辿るわけではないので、主に近隣の一般道から見える遺構をいくつかご紹介します。

まずは前回最後にご紹介した第8号隧道の次、第9号隧道。
長野県道256号を走り、王滝村へ入ってすぐの場所。左手の山に見えてくる軌道跡を辿ってみると……。

イメージ 1

ありました!廃線跡を歩いてきてよく見た森林鉄道の抗門です。
この区間はこの先にダムがあるため少し手前で新線と旧線に分離しています。旧線はダム以前の線路で、ダム奥地で顔を出してきます。こちらに関しても遺構が残っているので後ほど。

そして新線の少し下にこの旧線の道床も残っているので県道を走ってさえいれば簡単に見ることができます。夏場は木の葉でわからなそうですね。



そして次は多分気軽に見れる中では最大の遺構と言ってもいいでしょう。
此島の集落を抜け、二子持の集落へ辿りつくまでの川沿いの道。川と反対側の斜面を、落石防護柵の間から見てみると。

イメージ 2

錆びて赤くなったガーター橋が見えます。どうやら枕木も乗ったままのようですね。
これが二子持橋梁。防護柵の隙間から入れるので、斜面を登ってみます。

楽に登れそうなこの斜面、これが意外と危険。足元には落石があり、体重を預けてしまうと簡単に崩れ落ちてしまう。そしてこれが落ち葉の下にあったりするのがまたもや面倒。これのせいで何度バランスを崩したことか。

私はケガなく上りましたが、一番下の防護柵まで小さい石が転がって行きました……。気を付けてくださいね。

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胸元に電源の入ったままの一眼レフをぶらさげて登るので、途中で知らぬうちにシャッターが切れていることが時たまあります。これもそのひとつなわけですが、県道との高低差がわかると思います。
旧線も県道ぐらいの高さのところまで下がっていたようですね。


イメージ 4

上から見ると思ってたよりたくさん枕木が残っています。まぁこれがこの橋を渡るのを危なくさせているのですが……。
沢があるわけではないので迂回は簡単ですし渡るよりも安全です。

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無難に迂回する方が安全ですね。



本当はこのまま坂を下ろうと思っていたのですが、思ってたよりも傾斜がきつく、登ってきたことのことを考えるとここから下りるのは危険だと思ったので素直に路線を辿ろうと思います。

イメージ 6
して、真後ろが第10号隧道。
ここを抜けたほうが県道への復帰は楽です。というか歩くのにはもってこいなほどのハイキングコースです。

イメージ 7
内部はうっすらとカーブしています。


イメージ 8
出口側も良く見た抗門です。

イメージ 9
その先はこのように草が生い茂っているわけでもなく、比較的歩きやすい道が続きます。この築堤になっている部分から県道へと復帰しました。




ここから先は牧尾ダムがあるため、旧線はダム湖へ沈み、新線は右岸道路へと姿を変えます。
右岸道路に接続する部分に第11号隧道がありますが、写真を撮るのも面倒になるくらいあからさまに道路脇にあります。とりあえず通れば確実に見れるので行ってみてください。はい。


崩越までは見どころなしかと思えばそうではないです。
崩越の少し手前、道路のすぐ下に旧線隧道があるのです。

イメージ 10
それがこちら。旧線時代は第8号隧道でした。
今ではこれだけしか見えていません。

イメージ 11

右側のガードレールの部分が右岸道路であり、新線の道床でもあります。
旧線との位置関係がよくわかります。



最後の遺構は崩越の先、新線が再びダム湖湖面に近づくように下がっていった先にあります。
この区間は瀬戸川線という支線が分岐しており、その線路も残っているのです。

その光景がこちら。

イメージ 12

右岸道路の橋の上からの光景。
手前の橋が瀬戸川線、下に写っているのが本線新線の橋梁。

支線が多く分岐する区間ではこのように本線と支線で橋が並ぶこともしばしば。
しかし道路から簡単に見え、現在も橋がかかったままというのはかなり珍しいのでは?
穴ヶ沢橋梁という名前だそうです。

そしてこの橋梁、木が薄い冬場なら対岸からもこの通り。


イメージ 13

意外と高低差がありますね。
下が本線、上が瀬戸川線です。

新線の橋梁の下に見える橋げた、これは本線の旧線のもので、この先で本線と合流します。
実はこのすぐ右手に第12号隧道があり、ここは旧線と新線がほぼ横並び、高低差もわずかな差しかないことから、旧線と新線の隧道が横並びで現存するという、おそらく森林鉄道でなくてもほとんど見られない光景が見ることが出来ます。

もちろんですが、ここに辿りつければ、の話ですけどね。私は行っていません。




王滝森林鉄道は中京圏で最大クラスの森林鉄道、広い森の中には今なおかかったままで現存する林鉄木橋もあるとか。
また時間のある時に行ってみたいですね。

(完結)

福井県道248号武生池田線

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どうもこんにちは、大変ご無沙汰しております。ぽっぷです。

前回の更新から1年ぶりですね。短いようで長い1年でございました。
近頃は廃道や廃隧道というよりも、愛車で酷道険道を走って回る事が多くなりました。
走るだけならカメラを持つことも無く、ただひたすら山道を走ることに専念するので当然のことながらレポにすることもありません。
最近ウェアラブルカメラを買ったので、もしかしたら車載動画として公開することもあるかもしれませんね。

廃道・廃線・廃隧道の類は自力で出来る分だけを無理せずやっていこうと思ってるのでもしかしたらまたレポを書くこともあるかもしれません(笑)



それでは今回のレポは、言わずと知れた福井県道248号のお話。

福井県道248号とは福井県越前市中居町を起点・終点とする県道。
池田町方面から越前市を結んでいて、地図上では国道417号と福井県道201号を最短距離で結ぶショートカット道のようにも見えます。


が、これは地図上だけの話。

実はこの福井県道248号は福井県下トップクラスの険道と言わしめるほどの猛者だったのです。

これも池田町から南越前町へ抜ける福井県道203号(レポ済)でも私調べでトップ3のうちの一角だと宣言していましたね。
ところでこのレポもう5年も前なんですね……(笑)

このレポ内で5年前の私が書いた内容をそのまま書き出しますと、




・福井県道248号池田武生線
私が福井県で最凶の険道だと思っている県道です。
カーナビにはさぞ近道のように書かれている道なくせしてその正体は「ほぼ全線ダートの九十九折り」という熟練ドライバーをも泣かせる標準装備、しかも池田側からだと入り口すら判然としないという険道です。(夏挑戦予定)



だそうです。
夏挑戦予定とか書いておきながら、5年後のチャレンジとなりました。
膨張した書き方のようにも思えますが、噂されているような話以上の道路でした。





6月3日。

この日は「なんとなく走りたい」という理由で奥越は勝山へ。
ショートカット道だと思って走った福井県道239号上唯野西屋勝山線は崖と川に挟まれた細い道で苦笑いしながら、福井県道34号松ケ谷宝慶寺大野線を通って池田へ抜け、福井県道117号今立池田線を池田町側で行ける所まで行って引き返して来た後でした。

うーん、こうやって文字にしてみるとただ「走りたい」という理由でこんな偏屈な道ばかり選ぶとは、我ながら頭が悪いというかなんというか……。
時間は既に17時を回っているくらい。最初は福井県道203号で南条へ抜け帰るつもりでしたが、ふっと頭に浮かんだのがこの福井県道248号
実はこの前日、国道417号の接続林道である冠山林道を往復していて、その帰りに県道248号の入り口に「通行止」の看板がなかったことを確認していました。

じゃあ折角だし行ってみるか。そのくらいの気持ちで向かいました。



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そういえばここで愛車の写真を出すのは初めてでしょうか。
Twitterやインスタグラムではおなじみとなっております、3代目レガシィツーリングワゴンでございます。
散々SNSでお話して、今更なので車の事に関しては9割ほど省きますが、決して林道や酷道険道を走るような車ではございません(笑)
国道157号の洗い流しではフロントバンパーを擦り、林道の伸びた草で車体に擦りキズを付けるなどいろいろやらかしてます。


道路のお話に戻りましょう。一応ここが県道248号の入り口。右手の舗装路が国道417号ですが、まるで林道であるかのように未舗装の脇道が伸びています。ここが県道だということは知る人ぞ知るということでしょう。林道としては豪華な装備である「通行注意」の看板がありますがあくまでここは県道です。

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林道へ入る前に一枚。
基本インスタやTwitter用にと思って写真を撮っていますので肝心な道路メインではないことを予めご了承願います。


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私の聞いてたこの道は、麓側のほんの少しの区間を除き全線がダート区間。
つづら折りで高度を稼ぎ、それも切り返しが必要なほどの鋭角カーブだということ。

入ってすぐの時点ではとても写真映えする杉林の中を進む林道のように思えます。
嬉々と車を止めて写真を撮っていました。

車好きとしては「県道」の名前をひっさげているくせに、対向車も後続車も来る事がほぼないだろうという確信がある程度持てる道路なので、結構安心して写真撮影が出来ます。
それでも来てしまった時はちゃんと道を譲るか先を急ぎましょうね。

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そして第一ヘアピン。話に聞く急カーブです。
この車はまず「曲がらない」車なので、ここでも切り返ししましたが、軽自動車や小さめの普通車なら余裕で曲がれると思います。

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第二ヘアピン。厳しい!(笑)
ここはレガシィは当然のこと、普通車でも切り返しを必要とするんじゃないでしょうか。
路面のダートも相まって、走りづらい事ありゃしません!


とここで、道路に変化が。


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マジか。


なんと第二ヘアピンを曲がった先から舗装路になっていました。
知らぬ間に工事が進んでいたようです。ちょっとがっかりなような、走りやすくなって嬉しいような。

本当に写真が撮りたかったポイントはこの先だったので、舗装されてしまっているでしょう。
ダートの時に撮りたかったのですが文句は言えません。今は走りやすくなった事を素直に喜びましょう。

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前言撤回。

走りやすい道ってなんなんでしょうか。
私は常にアクセルとブレーキの踏み替えを必要としない道だと思ってます。
どんなワインディングロードであっても、40キロなら40キロでずっと走っていられるのならそれは走りやすい道になるでしょう。

こういう山道であれば、カーブの度にブレーキを踏むくらいなら走りやすい道でしょう。
アクセルを踏まないと登れない、ブレーキを踏んでいないと延々とスピードが出て行ってしまう坂道は走りにくいと思います。


じゃあ福井県道248号は?

引き返すつもりもないのにRレンジにギアを入れなければいけないとても走りにくい道です。
今はとにかく二輪が羨ましいです……。


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何度も言いますが車の写真を撮るには最高の場所です。

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そして僕が一番撮りたかった場所。
杉林の中のちょっと長めのストレート。

数年前はダートだったんですね。その時に来たかったですがどうも私が車を買う以前の話だそうで。


このストレートの先にはヘアピンはありません。道幅は依然細いですが、走りにくくはないでしょう。

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道幅の狭い国道157号のような、勾配のない冠山林道のような、森の中を走る県道203号のような。
そんな雰囲気の道が続きます。

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しばらく走ると、田んぼの脇へと出てきて下界へと戻ってきます。
看板には「池田町へは行けません。Uターンしてください。」の文字が。

その池田町から来たんです!と言いたいところですが、ママさんドライバーにはこの道はまず無理でしょう。
福井は今年「福井しあわせ元気国体」が開催されます。私には直接関係ない話ですが、ブルーインパルスが来るとのことでひそかに楽しみでもありますね。池田町もロッククライミングみたいな競技が開催されるとか。

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県道はほんのわずかな距離ではありますが、集落の中を抜けて行きます。
言ってしまえば、この県道の利用者はこの家の住民と奥の田んぼの所有者、そして我々のような物好きだけということになりますね。

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集落を抜ければ福井県道201号へと合流し、ここで県道は終わりとなります。
どちらを通っても池田町へは行けますが、距離はかなりの遠回りになる県道201号を通った方が圧倒的に速く着きますよ。

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そしてこの看板。ここに載ってる248のヘキサこそ、この道が県道であることを示す唯一の生き証人です。
逆に言えばこの看板に載ってるヘキサ以外248のヘキサはないはずです。



写真を撮りながらだったので走破に30分ほどかけていますが、この一週間後ノンストップで走行してみたところたった10分で通り抜けが出来ました。
以前より走りやすく、道らしい道になってきてますがまだまだ林道チックな道なのでくれぐれも気を付けて走行してくださいね。


念のため、写真に写ってるレガシィのナンバー、アメリカで使われていたナンバープレートが写っていますが、もちろん走行中は外し、写真撮影の時に養生テープで固定しています。ナンバー隠しての走行は道交法違反ですから絶対にダメですよ。






久しぶりのレポとなりました。いかがだったでしょうか。
次回の更新は再び未定となりますが、少し大きめのオブネタがあり後日福井県内にて散策予定です。
情報がまとまり次第、レポを上げたいと思いますので今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。


(完)

国道158号沿いの廃隧道 湯上隧道

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どうもこんにちは。ぽっぷです。
前回更新から1ヶ月も経ってないのにまた出てきました。珍しいですよ、かなり。


今回の標的は福井県内にある、とある廃隧道。
その名を「湯上隧道」と言います。

廃隧道に詳しい方は名前を聞くだけで「あぁあそこの隧道か」とわかるはず。
かく言う僕も福井県内ならばある程度は場所や名前を覚えていると自負しています。

じゃあ「湯上隧道」を知っていたのかと聞かれると、僕は迷わずNOと答えます。
少なからず2カ月前まではその存在を知らず、今日になって名前がわかり、そして今でもその竣工年や何の目的で作られた隧道なのかがわからない、そんな物件です。

おそらく今後、福井県内にここまでして行きたいと思った隧道はもう現れないでしょう。



事の発端は今年の5月のこと。
いつものように車を走らせ、帰り道に選んだのは国道158号線
福井県福井市を起点に、岐阜県高山市を通り長野県松本市を終点とする国道です。

福井から最短距離で飛騨高山や松本までを抜け、すべての区間で二車線の快適な道路になっています。
ところが福井県と岐阜県の境にある油坂峠や、岐阜県内新軽岡峠、そして岐阜県と長野県の県境にある安房峠など、狭隘な峠道が複数ある「酷道」としての側面も持ち合わせています。
今ではバイパス道やトンネルが整備されており、道路の心配をすることはほぼないですが、それでも全区間を通して見通しの悪いカーブや山岳地帯を通るためきつい勾配が点在しています。

そして、整備が進んだ道路という場所では、旧道や廃道が多く生まれているということ。
この国道158号は先述の油坂峠安房峠は旧道と化し、新軽岡峠には軽岡隧道という名の廃隧道が一本残されました。

福井県内でも馬返し隧道影路隧道という廃隧道が存在しています。


言い返してみれば、馬返し隧道・影路隧道以外、158号の福井県内には廃隧道は存在していないというのが答えでしょう。今まで幾度となくこの道を通ってきたからこそ、それは間違いないと思っていたのも事実です。




5月12日夕方。

湯上発電所付近を走行中のこと。
以前から分かれ道があり旧道を疑っていた区間の場所に

ぽつんとコンクリートの塊と、その入り口が。



正直な話、あの時は目の錯覚も疑いました。何せ、ここには隧道がないと思っていた場所。
そんなところに抗門があるなんてぶっちゃけ信じられないですよ。

そのまま家に帰り、隧道データベースを見ても知っている隧道しかそこには書かれていませんでした。
この付近に隧道があることも。
今度行ったときにじっくり見てみればいいやと思い、問題は先延ばし(僕の悪いところですねw)




して、6月3日。前回の福井県道248号を走行した日。
この日に奥越に向かった理由の一つとして、この隧道の現地確認がありました。
とはいえ、この日は偵察。どう考えても草藪が酷いと予想できるのに、隧道がなければ意味がありません。

なのでこの身一つで車を転がし、現国道から望遠レンズの能力を限界まで発揮してその存在を見つけ出す事。それがこの日の目的でした。



その前にまず現場の地図を確認いただきましょう。

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大判の地図では全く場所が掴みにくいとは思いますが、ちょうど大野市から旧和泉村、JRの駅で言うと勝原駅から越前下山駅のちょうど中間地点ぐらいの場所。

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この道路では仏原ダム、仏御前の滝を過ぎた後に九頭竜川を右手に見ながら走ります。
実は九頭竜川が左手に見える区間はこの仏原ダムまでで、それから先は一区間を除いて九頭竜川や九頭竜湖を右手に見ながら岐阜県へと入るわけです。


その一区間こそが今回の目的地。

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そして隧道の疑定地はここ。

この僅か数百メートルほどの区間は、九頭竜川を左手に見ることになる国道158号。
大野側、和泉側の両側に川を渡らずに進む道路の入り口があります。

大野側はまるで林道のような入口に、そして和泉側は湯上発電所の敷地となっていて、関係者以外立入禁止となっています。
Mapionや、僕が常用するGoogleMapにもこの区間には旧道のような道路跡が、繋がらずに描かれています。
当然ながら、隧道表記はなく、そのためこの区間には隧道がないと言える理由の一つともなっています。




事前調査では大野側の入り口部に車を止め、橋から旧道を見つけます。

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平場が一本伸びているようにも見えますが、隧道のようなものは見当たりません。
というより、いくらか崩落が見えるのですがどう考えても道は呑まれています。
無事には思えません。


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色合いがおかしいですが、撮影順が前後しホワイトバランスの設定を間違っていただけなので特に理由はないです。

隧道があるとすればあの崖の部分。
というより、隧道がなければあそこに車道を通すことは不可能なわけです。

そしてその先、発電所敷地側には道路がありそうな平場も見えます


極めつけは……

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あるんですね……、道路が……。

デニリエーターでしょうか。遠目から見てもわかる、白と赤のポール。そこには道路があるという証拠とも言えます。

地図に書かれていたあの線は真面目に車道なのでしょう。
ならば何らかの方法であの崖を通らないといけないわけです。
こちらから見えないのなら、反対側。というわけで今度は和泉側の入り口へ。

ちょうど湯上発電所の進入路が旧道の入り口なので、ちょっとだけ止めさせてもらいます……。
当然ながら発電所へ行く道にはゲートがあり、閉まっています。
ここを通らなければ旧道へ入る事は出来ないため、こちら側からの進入はできないと考えてもいいでしょう。


すぐ傍、九頭竜川を渡る橋の上から旧道を見てみました。


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!!!

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隧道が開口している!!!

木に隠れて見えにくくはなっていましたが、確かにそこには隧道がありました。
地図にもデータベースにもなくても、この写真一枚で隧道の存在が証明できるのです。


そしてそこで出てくる問題は、この隧道は果たして国道の旧道なのかということ。

立地的に発電所の建設のために作られたものという可能性も捨てきれないのが事実です。
実はこれを書いている今現在も、これに関してはよくわかっていません。
ただ、そこには間違いなく隧道はあるんです。隧道があるのならば、行かないわけにはいきません。

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その前にこっちも。
間違いなくここは道路であると証明できるでしょう。
手前にも茶色のポールが立っていますが、これは道路標識でも付いていたのでしょうか。






そして6月30日。

前日にはゲリラ豪雨に襲われ、滋賀県では竜巻、岐阜県では土砂崩れが相次いだその翌日ではありますが、探索を決行しました。


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今回も堂々登場のレガシィくん。今回は旧道の入り口でお留守番です。

右手が国道158号線、奥の橋は地理院地図によると「葛ヶ原橋」というそうです。
カーブ注意の看板の隙間に、旧道への入り口があります。

「旧道」と表記していますが、正直ここが158号の旧道かどうかは定かではないので、便宜上「旧道」と表記している事を中盤ではございますが、あらかじめ記載させていただきます(笑)

今回の探索は僕一人ではなく、車仲間カメラ仲間の友人ひゅうがくんと二人での探索。
過去には初代安養寺隧道にも一緒に行った事もあるんですよ。

今回はちょっと面白い物件ということで誘ってみたところ二つ返事で行くとのこと。


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入口近くは刈り払われていてとても歩きやすい道路です。
ここまで来てですが長袖を忘れた事に気付きました。
間違いなく藪こぎをすることになるであろう道を半袖は正直キツい。
長靴と防水ズボンまで用意しておきながら、長袖を忘れるとは……。


写真で写ってる一番奥のところから、藪こぎスタートです。

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ちょっと行った先、平場ははっきりと見えます。
道路としては1車線道路ってところでしょうか。道幅はしっかりとあります。

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藪が薄いところが続けばいいのですが、少し歩けばこんなもの。
すぐに腰上胸下ぐらいのところまでの藪の中を延々と歩きます。

半袖なので、なるべく藪の薄いところを選びながら歩きます(笑)

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ちょっと先へ行くと道の真ん中に大きな落石一つ。
そしてその脇には

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デニリエーター……、なんでしょうか。
反射板こそないんですが、ポールが一本。
この先でも同じようなものをいくつか見つけています。

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日当たりのいい場所に出ます。というかこの道で日当たりのいい場所は、藪が濃いか崩落斜面かのどちらかということになります。あんまり嬉しくはないですね。半袖ですし。



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そして奥には道路の上を流れる川が見えます。
ちゃんと中をくぐれるようになっているのが見えますね。
発電所関係のようにも見えますが、地図を見る以上は自然の川のようです。


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そして見えてきた嫌なやつ……。

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わかってはいたけど勘弁してほしい

崩落に巻き込まれ、道路は完全に埋まっていました。藪が薄い上側を巻く事に。
ひたすら蒸し暑くて既に汗だくなのにー

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崩落の奥にはちゃんとまた道路が戻っていました。
木陰になっている場所は藪もなく快適ですね。

まぁそんなこと言っていると
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こうなるのですが(泣)

熊笹でもなくススキは一番ツラい。
通り過ぎる時に擦れるだけで身体中擦り傷だらけになりますからね。半袖ですから

流石に辛いのでちゃんと長袖着てるひゅうがくんに先導してもらいました。

ススキ原の先はちょっと崩落斜面のようですが、ここは難なくクリア。

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ここにもポールが。ここはちゃんと赤白でした。
結構綺麗な状態で残っているものです。本当に旧道なんでしょうか。

結構歩いたようにも思えましたがそんなに距離は離れていないようです。

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ガレ場はここも藪の薄い上部へ高巻き。
遠くに見える水路橋までが遠い……。

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奥が見たくない……。
確信部は迫ってきているのに未だに隧道も見えない。

予想はしていたことなのですが、大野側の抗門は既に埋没しているという可能性もあります。
というのも、遠方から見た段階では隧道疑定地には崩落による土砂が多く見えました。
いくら和泉側の抗門が残っているからと言って、隧道が貫通している可能性は100%ではないのです。

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奥の岩肌、あそこが抗門があるであろう場所です。
そしてその手前は藪濃いめの崩落斜面。
半袖なので正直行きたくないのですが、埋没をこの目で確認するまでは帰れません。

一分ほど、息を整えて藪へ。

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ごめん無理!

これね、視線の高さなんです。
斜面と濃い藪で行く手を遮られます。

おまけにここに生えてる藪、棘があって痛い。肌に直接刺さってくる。
何度痛ぇと言った事やら……(笑)

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向こう側から行ければ隧道は近かったでしょう……。
右端に見えるのが湯上発電所。当然向こう側から立ち入ることはできません。

確信部はやはり藪の中。
地に埋もれているのも覚悟で、せめてあの岩肌にタッチして素直に負けを認めて帰りたい。
その一心で棘と藪に肌を擦りながら進みます。

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そしてここまで。

崖は目の前、抗門はなし。
ここまで来て抗門がなければ、こちら側は閉塞と考えてもいいでしょう。

「残念だけど、こりゃ埋まってるわ」
と話しながら最後の斜面を登ると




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!!!!!


あった!!!開いてるぞ!!!

思わず穴に駆け寄ると、崖の手前は下の河原まで続くガレ(笑)
ゴール手前の落とし穴にハマってしまうスーパーマリオ的なにかになってしまうところでした。
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ひゅうがくんにスマホを渡し、「穴の中覗くからインスタ映えする写真撮ってくれ」と一言。

その写真が右のやつなんですが、まぁ廃道探索する格好ではないバカな人間が写っております(笑)

そしてこの写真を撮ってもらいながら中を覗くと




「中はめちゃくちゃ綺麗だぞ!」


もう写真を撮られているということも忘れ自分のカメラで一心に写真撮っていましたがそれがこちら。


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貫通も確認!

なんとか生きていてくれました。

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大野側の抗門は元からなかったor崩落に巻き込まれたかで、今の開口部はたったこれだけ。
ここで安養寺みたいなことをするとは思っていなかったから入る前にちょっとだけ入口を拡張。

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そして内部はこんな感じ。

路面は前後の道路と同じように未舗装です。幅は道路とほぼ同じ一車線、すれ違いは無理でしょう。
コンクリで巻かれていますが、ところどころ素掘りの岩肌が見えます。

全長はだいたい50メートルほどでしょうか。「走ってみればわかると」というひゅうがくんの言葉を「バカじゃないのか?」で一蹴しましたが、大体そんなもんでしょう。
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入ってきた大野側はもう瀕死の状態。あの穴が無くなればこの隧道に入る手立てはなくなります。

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補強でしょうか。ところどころ岩肌が出ています。全部が全部こうではないのですが、何か理由があるのでしょうか。



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出口からの光景はこんな感じ。

とにかく圧巻。せり出す岩肌に圧倒されるばかり。
こんなところを通っていた道路って一体何者なんだ……。


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そして抗門の姿。これが和泉側、6月3日に橋から見えた抗門の姿です。

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そして忘れてはならない、扁額に書かれた文字。


湯上隧道。それがこの隧道の名です。

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隧道の先には発電所、そして水路橋が見えます。

本音では水路橋まで行きたかったところですが、やはり半袖は厳しい。
この先は木と、少ない隙間を埋めるようにびっしり藪。
行ける所まで行きましたがここから先は行きたいけどめんどくさいの一言で諦める事にしました。
本命の隧道は攻略できたので、今回は満足です。


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一番奥からこの写真。奥に写るのが現国道の葛ヶ原橋。
絶対にないと思っていた隧道をようやくこの目で見る事が出来ました。

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最後に抗門を引いて一枚。

帰り道はカメラこそ手に持っていましたが写真を撮る気力もわかず、ただひたすら藪と暑さと戦いながら車まで戻りました。

車に戻ってからはいつものツーリングのように、二台で国道157号岐阜県道270号冠山林道とヤバい道怒涛の三連発で幕を閉じました。



最後にこの隧道のことなのですが、未だに旧国道の遺物なのか、発電所建設に関するものなのか。
ひいてはこの隧道がいつ作られたものなのかなど、存在以外のすべてが恥ずかしながらわかっておりません。
情報をお持ちの方、いらっしゃいましたら是非ご教授いただければ幸いです。
そして僕よりももっと廃道に行かれている皆様がこの隧道を訪れ、埋もれゆく歴史を掘り起こしていただく事を切に願います。



次の更新こそ1年後になってしまうかもしれません。また会うその時まで。

(終)

お知らせ

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皆様こんにちは。ぽっぷです。

既にYahoo!ブログより告知が上がっております通り、
2019年12月15日をもってYahoo!ブログのサービスが終了されます。
8月31日以降は記事の編集なども行えないことから、実質8月末が終わりでしょうか。


弊ブログ、「轍亡き路へ」はこのサービス終了に伴い、
アナウンスされております他社ブログへのサービス移行を行わず、
誠に勝手ながらすべての更新を終了させていただきます。


振りかえれば2009年に特急街道情報局として、鉄ちゃんをやっていた頃にブログを始めたのが始まりでした。
2012年からは轍亡き路へとして、廃道などに関する記事を書いてきましたが、そこは飽き癖のある私。
1年おき更新と、ひどく間の開くブログになってしまっていました。

ブログを始めた2009年は鉄道、その後に廃道、そして今は飛行機、車と趣味すらもころころ変わっていますが、
今でも実は廃道とか廃線をちょくちょく調べていたりはします。
実際その場に足を運ぶことも多く、ドライブがてら廃道をこっそり歩いていたりします。
写真もそこそこあるのですが、記事にするほどでもないかと置いてあるのがほとんどですね……。
記事にしておけばよかったなと思っていたりもしますが、今から記事にするのもなんだかなと言うのが本音です。



さて、今後の展開ですが、
先述のとおりYahoo!ブログ「轍亡き路へ」はこの記事をもちまして以降の記事更新をせず、
Yahooより案内されている他社ブログへのサービス移行は行いません。
よって、「轍亡き路へ」はサービス終了12月15日をもち、終了とさせていただきます。

アナウンスされている以外の、他社ブログサービスへの「轍亡き路へ」移行に関しても、
また年1回ペースの更新になるのならばブログを存続させる意味を見いだせないため、行いません。


今後使用するブログサービスですが、
今まで合わせて使っておりましたFC2ブログのほうの「空路」での更新となります。
とはいえ、こちらも既に2年未更新という恐ろしい状況になってますので、
いつかちゃんと復活させたいですね……。

他にもいくつかSNSサイトを使っておりますので、そちらを案内としておいておきます。



・Twitter
おそらくTwitterがサービス終了するまでは確実にこのSNSを使っていると思います。
毎日のように何かしら呟いてますので1年未更新とかそんなことは決してないです。
生存確認にはこれが一番でしょう。。。

FC2のブログです。こちら2年更新が止まってるので多分今後もそんな感じです。
廃道の話が出てくるなら多分ここなんですけれども。
何かしらには使いたい(願望)なのでこちらは期待しない方がいいかもしれないです。。。

こちらは車に関するSNSサイト。
ブログサービスなどもありますが基本車のみの話になりますんで
廃道とかそっち系の話はそんなに出ないと思います。

こちらは航空系のSNSサイト。
飛行機の写真とかをごくまれに投稿したり、搭乗レポ書いたりとそういうやつです。
廃道の話はまず間違いなく出ません(笑)

まぁ皆様ご存知大手動画サイトニコニコ動画です。
このブログでも意外と関係が深い、酷道や険道を走ったときの車載動画を時々上げてたりします。
察しのいい方はわかるとは思いますが、動画作成速度はクソほど遅いのでそういうことです。



これだけ上げましたが、Twitter見てればだいたい生きてますので今後はTwitterをお願いします。

ブログを始めてから10年、いや長い時間でしたね。
更新ほとんどしなかったとはいえ、10年もページを残しておくとは思ってませんでした。
申し訳ないんですが昔の写真とか見てられないくらいにヘタクソなんで、空路とかの昔の記事も全部消したかったりします(笑)



最後になりましたが皆様、これまで長きにわたりご愛顧頂き誠にありがとうございました。
この記事をもちまして、「轍亡き路へ」の最後の記事とさせていただきます。
またどこかでお会いしましょう。





2009年7月11日~2011年11月03日
特急街道情報局 -The Limited Express Highway Information Station-
2012年11月29日~2019年12月15日
轍亡き路へ


ぽっぷ




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