こちらは続きとなります。
![イメージ 1]()
前回の写真の地点からほんの少し先に進んだところ。
ダム湖が見えてくるようになりました。
裾花ダム(すそばなだむ)によって作られたこの人造湖は「裾花湖」といいます。
裾花川は戸隠連峰(長野新潟の県境に位置する山々)を源流とし、この地を通って長野市内を通って犀川へ合流、そこから千曲川へ入り、新潟県で信濃川と合流し日本海に流れます。
犀川は上流は梓川と名前を変え、長野県の有名観光地「上高地」から流れています。
裾花川は長野市内を流れていることもあり、洪水などの水害が起きた場合の被害は甚大なものでした。1949年(昭和24年)には裾花川が氾濫、長野市内の大半が浸水したといわれています。
そのため裾花川上流にダムを建設、中部電力の末端に位置する長野市以北への電力供給を安定させるため発電所を建設する計画が発足、1962年(昭和37年)より建設が開始され、1969年(昭和44年)に完成している。
![イメージ 2]()
路盤はところどころ崩落しながらも、安全に人が通れるレベルの広さはちゃんと確保してある。
廃道といえど、この場所はまだ死んでいなかった。
ここでこのダムにまつわる長話をもう一つ。尺稼ぎ?知らない子ですね
この裾花ダムには失意のまま廃線を迎えた鉄道路線が一部水没しています。
名前を「善光寺白馬電鉄」と言います。
名前の通り、長野市(善光寺)と白馬村を結ぶ鉄道として1919年(大正5年)に計画、その後第一次世界大戦の不況のため、線路敷設許可が下りたのは1927年(昭和2年)4月のことだった。
路線が開業したのはそれから9年後、1936年(昭和11年)11月22日のこと。南長野駅~善光寺温泉東口駅の5.8キロが開業した。それから1942年(昭和17年)12月17日に裾花口駅まで延伸された。これは現在の裾花ダム付近に作られている堰付近であると推測される。
しかし善光寺白馬電鉄の栄光はここまでであった。裾花口から先は山岳地帯となり、かつ資金が集まらなかったため工事は難航。裾花口まで開業して1年後の1944年(昭和19年)1月10日。太平洋戦争下の企業整備に伴い運行が休止されてしまった。
やがて終戦を迎え、戦後になっても長い間休止されたままだったこの路線は、自治体による復活運動が行われたり、国鉄による「信越西線」としての開業などが検討されるも、どれも実現には至らなかった。
これに、廃線を決定づけたのが「裾花ダム事業」である。
裾花ダムを建設するにあたり、終点の裾花口駅付近のトンネル・路盤が水没することとなった。
よって善光寺白馬電鉄は1969年(昭和44年)7月9日に正式に廃止とされた。
実質列車が動いていたのはたったの7年であり、善光寺温泉駅から裾花口間に至っては数本のトンネルが掘られるもののたった1年しか活用されることはなかった。
時間の都合上、この日に散策することはできなかったが、国道162号上より数本の隧道を確認することができた。
もちろん、次回はここも訪れる予定でいる。
![イメージ 3]()
やがて廃道は直角に山へ向かって折れる。どうやら沢を越すようだ。
![イメージ 4]()
そこで道は藪へ呑まれた。
実はこの日は結構薄着で来ていた。2日間の滞在のためあまり藪に入って服を汚したくなかった。
![イメージ 5]()
この先の道は背丈と同じ高さの藪が続いていた。沢を越えた先は崩れている部分が見えるが道は大丈夫なのだろうか、心配になる。
しかしこの先はこの服装だとちょっと心配だった。
仕方なく、ここで引き返すことを決めた。
と、対岸を見たとき。
![イメージ 6]()
!?!?!?!?
なんじゃあの穴!?!?
(続く)
前回の写真の地点からほんの少し先に進んだところ。
ダム湖が見えてくるようになりました。
裾花ダム(すそばなだむ)によって作られたこの人造湖は「裾花湖」といいます。
裾花川は戸隠連峰(長野新潟の県境に位置する山々)を源流とし、この地を通って長野市内を通って犀川へ合流、そこから千曲川へ入り、新潟県で信濃川と合流し日本海に流れます。
犀川は上流は梓川と名前を変え、長野県の有名観光地「上高地」から流れています。
裾花川は長野市内を流れていることもあり、洪水などの水害が起きた場合の被害は甚大なものでした。1949年(昭和24年)には裾花川が氾濫、長野市内の大半が浸水したといわれています。
そのため裾花川上流にダムを建設、中部電力の末端に位置する長野市以北への電力供給を安定させるため発電所を建設する計画が発足、1962年(昭和37年)より建設が開始され、1969年(昭和44年)に完成している。
路盤はところどころ崩落しながらも、安全に人が通れるレベルの広さはちゃんと確保してある。
廃道といえど、この場所はまだ死んでいなかった。
ここでこのダムにまつわる長話をもう一つ。尺稼ぎ?知らない子ですね
この裾花ダムには失意のまま廃線を迎えた鉄道路線が一部水没しています。
名前を「善光寺白馬電鉄」と言います。
名前の通り、長野市(善光寺)と白馬村を結ぶ鉄道として1919年(大正5年)に計画、その後第一次世界大戦の不況のため、線路敷設許可が下りたのは1927年(昭和2年)4月のことだった。
路線が開業したのはそれから9年後、1936年(昭和11年)11月22日のこと。南長野駅~善光寺温泉東口駅の5.8キロが開業した。それから1942年(昭和17年)12月17日に裾花口駅まで延伸された。これは現在の裾花ダム付近に作られている堰付近であると推測される。
しかし善光寺白馬電鉄の栄光はここまでであった。裾花口から先は山岳地帯となり、かつ資金が集まらなかったため工事は難航。裾花口まで開業して1年後の1944年(昭和19年)1月10日。太平洋戦争下の企業整備に伴い運行が休止されてしまった。
やがて終戦を迎え、戦後になっても長い間休止されたままだったこの路線は、自治体による復活運動が行われたり、国鉄による「信越西線」としての開業などが検討されるも、どれも実現には至らなかった。
これに、廃線を決定づけたのが「裾花ダム事業」である。
裾花ダムを建設するにあたり、終点の裾花口駅付近のトンネル・路盤が水没することとなった。
よって善光寺白馬電鉄は1969年(昭和44年)7月9日に正式に廃止とされた。
実質列車が動いていたのはたったの7年であり、善光寺温泉駅から裾花口間に至っては数本のトンネルが掘られるもののたった1年しか活用されることはなかった。
時間の都合上、この日に散策することはできなかったが、国道162号上より数本の隧道を確認することができた。
もちろん、次回はここも訪れる予定でいる。
やがて廃道は直角に山へ向かって折れる。どうやら沢を越すようだ。
そこで道は藪へ呑まれた。
実はこの日は結構薄着で来ていた。2日間の滞在のためあまり藪に入って服を汚したくなかった。
この先の道は背丈と同じ高さの藪が続いていた。沢を越えた先は崩れている部分が見えるが道は大丈夫なのだろうか、心配になる。
しかしこの先はこの服装だとちょっと心配だった。
仕方なく、ここで引き返すことを決めた。
と、対岸を見たとき。
!?!?!?!?
なんじゃあの穴!?!?
(続く)